このブログについて

そのお店のカウンターで過ごした2時間のディナーが、私の人生を変えました。

当時、私は名古屋で会社員生活をしていました。大学を卒業後、ホテル系列の企業に就職して約3年。段々と任される仕事も増えてきて、毎日可もなく不可もなく仕事をこなしながら、それなりに独身生活を楽しんでいました。

そんな中、2020年に新型コロナウィルスが蔓延。旅行業界は特に大きな打撃を受け、私の勤務していた会社も当然赤字へと転落。

そしてその後に始まった「GO TO トラベル」や「全国旅行支援」。業績の傾いていた旅行業界にとってはまさに救いの手でしたが、今度は逆に膨大な数の問い合わせが事務所に押し寄せました。

毎日鳴りやまない電話。昼夜問わず送られてくる大量の問い合わせメール。自治体ごとによって異なる各種割引の運用ルール・・。

「電話が全然つながらない!」「この内容でも割引が適用になると言われた!」

毎日のようにお客様からお叱りを受ける中で、身も心も疲弊していきました。

そんな日々の中で私の励みになっていたのは、たまの休みの日に行く旅行でした。

旅行業界に勤めているくせに、それまで旅行はあまりしてこなかった私ですが、当時疲れやストレスが溜まっていたことに加え、毎日膨大な数の「旅行支援」を処理しているうちに「自分にだって、旅行支援を使わせてよ!」という、もはや怒りにも似た気持ちが高まったことがきっかけでした。

コロナ禍だったこともあり、行き先は全て国内。そして他人との接触が制限されていましたので、1人旅をすることに。

名古屋を中心に、金沢、飛騨高山、白川郷、浜松といった中部圏はもちろん、コロナ禍が収束していくにつれて、西伊豆、仙台、小樽、大阪、白浜など、全国いろいろな場所を旅行しました。

気ままな1人旅でしたので、自分の行きたい場所に行き、泊まりたい宿に泊まり、食べたいものを食べる。思い返せばストレス発散のために、豪華な料理や絶景を自分の中に無理やり押し込んでいたような気がします。

そんな旅行をしている中で偶然出会ったのが、岐阜県の郡上市です。

元はといえば、岐阜県の世界遺産である白川郷へ向かう高速バスの車窓から、山の上にお城がちらっと見えたのが、郡上と私の最初の出会いでした。当時、郡上八幡城という名前だけは聞いたことがありましたが、正確な場所さえも知りませんでした。

その時バスからは、郡上八幡の町並みはほとんど見えませんでしたが、不思議と惹かれるものを感じ「なんか良さそうな町だなぁ。今度旅行してみよう。」と、バスの車内で思ったことを今でも鮮明に覚えています。不思議と惹かれた、という言葉以外では説明できません。

そうして2023年の4月。初めて郡上八幡を訪れました。豊かな山々に囲まれた小さな町中に、長良川の清流が流れ込み、見上げれば郡上八幡城が凛とした姿で山頂にそびえ立っている。そんな、のどかでのんびりとした美しい城下町を1人満喫しました。

そして夕食は城下町近くの洋食屋さんでいただくことに。カウンターとテーブルだけの小さなお店で、1人だった私はカウンターへ案内されました。

前菜にスープ、そして魚料理に加えメインの肉料理にいたるまで、お任せのコースはどれもが丁寧に作られた一品ばかり。

料理を楽しんでいる間、カウンター越しで作業をされているシェフは、ずっと気さくにお話をしてくださいました。

郡上市のこと、八幡町のこと、観光スポットや地元の食材、そしてお店のことまで。

他の地域同様に、郡上市も人口減少が続いているために移住促進を進めているらしく、お店を1人で切り盛りされているシェフも、他県から移住されてきたとのことでした。

そして料理については、何とほとんど自己流でその腕を磨いてきたとのこと。

「やってみれば、意外と何とかなりますよ。」

誇張でも謙遜でもないその言葉は、私にとって深く刻み込まれる言葉になりました。

終始優しい口調で、明るく朗らかに話されるシェフとの会話は、心地よくあっという間に過ぎていきます。

たまたま他にお客さんがいなかったこともあり、料理が終わった後もシェフと2人きりでずっとお話をさせていただきました。

今まで旅行といえば、美味しい食事や、豪華な宿の客室や広い温泉、それに見たこともないような絶景が目的でした。それこそが最高の贅沢、最高の幸せだと思っていました。

けれども、カウンター越しにシェフとお話をしたその2時間は、今までに経験したどんな豪華な料理や絶景よりも私を幸せにするものでした。

夏休みの再訪を心に決めた私は、結局その年だけで郡上に合計4回足を運びました。そして四季が巡るたびにその表情を変える美しい自然風景と、いつも温かい心で迎えてくださる郡上の方々に、何度も何度も幸せな気持ちを与えていただきました。

その頃、会社の方は忙しさにますます拍車がかかっており、もはや大量の業務をさばくだけの状態に。業務が少なくて済んだ日や、お客様からの問い合わせがなかった日のことを、ラッキーとすら感じるようになっていました。

毎日の業務の中で疲弊した心を、数か月に1度の郡上への旅行で癒し、また日常へと戻っていく。その繰り返し・・。

そんな繰り返しの毎日の中でふと、たった一度しかない人生なのに、つらいことを避けるのに一生懸命な人生なんて嫌だ、と感じたんです。そして訪れるたびにいつも幸せにさせてくれる郡上に対しても、何だか申し訳ない気持ちが芽生えていました。

「郡上に何とか恩返しがしたい。どうせ同じ時間を捧げるのならば、大好きな人たちのために人生を捧げたい。」

この時私は29歳。次はいよいよ30代という節目であることも私を後押ししました。

幸い1人暮らしで失うものは何もなく、多少の貯えもある。

そして何よりこんなにも素晴らしい地域が、数十年後には消滅してしまうかもしれないなんて、悲しかったし許せなかった。

こうして30歳を目前に、それまで勤めていた会社を退職して、私は郡上への移住を決意しました。移住して現地で活動をすることが、最も郡上の助けになれるかなと思ったからです。

このブログは、私なりの郡上への恩返しとして行っている活動になります。郡上の内外へ郡上の情報を発信することで、郡上の良さや魅力を知っていただき、少しでも地域貢献の助けになればと思い、拙い内容ではありますが書き始めました。

特別なスキルや資格もなく、郡上には友人も仕事のつても無い私にとって、移住は大きな冒険であり、まさにゼロからのチャレンジです。

正直不安はあります。移住を決意してからは、不安に襲われて眠れない日もありました。

それでも移住しないことの方が絶対に後悔する、と思えたので移住を決断しました。

もちろん移住が無謀なチャレンジになってしまっては、郡上のためになりません。継続した活動ができるよう、できる限りの準備や最低限の勉強をしたうえで移住をしたつもりですが、最後はやってみないと分かりません。

今でも怖さを感じることもありますが、大好きな人たちのために、精一杯やれるだけやってみようと思っています。

郡上には他県から移住されて活躍されている方がすでにたくさんいます。他の移住者の方々、そして地域の方々と一緒に郡上を支えていける人材になれるよう、毎日前向きに歩んでいます。

そんな日々の歩みなども、このブログでは書いていこうと思っています。

ここまで長い文章を読んでくださり、本当に本当にありがとうございます!

いつかこのブログを読んでくださった方々とも、郡上で会えるのを心から願っています!

郡上に出会えたことを心から感謝しています。

2024年4月 

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